失敗を認めないとチャレンジしない組織や人になってしまう[2013-09]

読書
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成功の反対の言葉は『失敗』ではなく、『チャレンジしないことだ』という有名なセリフがあります。

「20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義」にも、失敗について下記のような記述があります。

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自分は、自分の会社と一体ではないし、製品と一体でもない。往々にして同一視しがちだが、失敗したからといって自分が失敗したわけではない。あるいは成功したときですら、自分の成功ではない。会社や製品は失敗することがあっても、自分が失敗者なのではない。

仕事で失敗してしまうと、まるで自分のせいで失敗してしまったように感じてしまします。別に、自分のせいにしなくてよいのです。むしろ、失敗を恐れてチャレンジしないほうが問題なのです。

成功だけに報いると、リスクを取ろうとしなくなるので、イノベーションが阻害されると指摘しています。成功とともに失敗も評価し、何も行動しないことを罰する方法を検討してはどうか

何も失うものがない時は、いろんなことにチャレンジできますが、チャレンジに失敗することによって失うものがあると、持っているものを失くないという心理から保身に走ってしまいます。

しかしながら、チャレンジしないことによって失われるものもあります。失敗によて失うものと、チャレンジしなかったことで失うものを天秤にかけて、チャレンジをするかどうかの決定をする必要性があります。

また、会社組織的においては、成功に報いるのは当然ですが、失敗もプラス評価をしてあげる必要があります。失敗が許されない環境ですと、なかなかチャレンジはできません。チャレンジの結果の失敗ならば、プラス評価とするべきなのです。そうしないと、だれもチャレンジしなくなります。

これは子育ても全く同じです。

子供を「褒めて育てる」とよく聞きますが、重要なのは「褒めること」ではなく、「褒めるタイミング」です。

普通、親は成功したときに子供を褒めます。成功した時に褒めることはよいのですが、成功した時にしか褒めないのは、よくありません。

先ほどの例の通り、失敗を恐れて、チャレンジしない子供になってします。失敗した時こそ、そのチャレンジを積極的に褒めてあげる必要があるのです。

失敗は外的なものです

失敗を責めてはいけなのは、失敗は本人が制御できることではなく、制御できない外的なものだからなのです。本人が制御できないものを責めても、制御できないのですから、せめても仕方がありません。

何かを決める際には、過去にどれだけコストをかけたかを考えに入れるべきではない。

この原則はわかっていても、なかなか正しく行動がとれません。株で含み損を抱えている状態でもいつかは株価が値上がりするかもしれないと、株を塩漬けにしてしまい、損切ができないことがあります。仕事に置き換えると、自分がかなりの労力を費やして考えた企画が、誰がみても明らかに失敗という状況になっても、なかなかその企画の失敗を自分から認めることができないものです。

過去の成功体験が邪魔してチャレンジできないことがあります。それは、チャレンジに失敗すると、過去にかけた努力がすべて無駄になってしまい、それを失うことが怖くなってしまうからです。チャレンジするかどうかを決める際には、過去にどれだけコストをかけたかは、判断材料とはしないことです。

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